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岩崎学の中国物語

中医学入門


ピカピカの一年生(98年秋)

 いよいよ本科生、「ピカピカの一年生」です。と言っても、この時すでに25才。

私が入学した大学は当時「北京中医薬大学」じゃなかったんです。「中国中医研究院附属 北京針灸骨傷学院」と言う大学です。学院と言いますが、中国では立派な大学です。今考えると、中医薬大学より恵まれた環境でした。先ず、留学生が少ない。入学時点で30人ちょっと。ちなみに、中医薬大学は200人以上です。

更に恵まれていたのは、1~2年時体育、外国語、政治などの授業が免除で、医学の授業だけを受けられたことです。だから、中国人よりも各科目の授業数が多く、比較的ゆっくりしたペースで進んだんです。これは本当に助かりました。でも、テストは一緒でしたよ。

中医学と西洋医学

日本で東洋医学(中国では中医学を言います)と呼ばれる学問が専攻ですが、西洋医学も全て学びます。

中医学は陰陽学説や五行学説と言う哲学から始まった学問で、非常に抽象的!どちらかと言うと文系的な勉強です。それに対して西洋医学は理論整然、完全に理系の学問といった感じです。

テスト

テストと言えば!もちろん期末テストが最も重要です。でも、ほとんどの教科は数人の先生が授業をするため、先生が変わるたびに採取採点の参考として中間テストがあります。これが結構きつい。1教科目の中間テストが始まると、何だか期末テストまで毎週テストに追われるんです。

テストはきつかったです。西洋医学はとにかくきつかった。日本では英語やカタカナで覚えるものが全て漢字表記、暗記をするのも一苦労です。中医学できついのは古文系です。中国語すらままならない留学生が、中国人と一緒に古典を暗記です。

中国人と一緒(99年秋)

 2年生になると教科によって中国人同級生と一緒に授業を受けます。華僑や台湾人を含む留学生の中で成績が1番だったので、結構自信があったのですが。びっくりしましたね、あまりの優秀さに。しかも毎日真面目に勉強してるんです。中国人は8人部屋なので、教室が勉強する場所になっています。ですから自分の宿舎から深夜煌々と照る教室の明かりを見ると、「やばい!!」って思いましたよ。正直、彼らの3倍勉強しても追いつけないんですから。

勉強方法の違い

 授業中は先生の講義を追うので精一杯。教科書は赤や青のアンダーラインでいっぱいです。復習では教科書を見ながら、ノートを作りました。今では私の財産です。

中国人も授業中は教科書に書き込みをします。でもその後が違うんです。彼らは決してノートを作らないんです。復習も教科書を読み、テスト勉強も教科書1つです。

臨床に一歩近づく(00年秋)

 1~2年で、中医学、西洋医学の基礎が終了します。で、3年になると中医学では『中医内科学』、西洋医学では『西洋診断学』と言った臨床系の授業が始まります。今までの基礎が全て応用されるから非常に面白い。例えば

1年前期 中医基礎理論(中医学の基礎となっている哲学)

→ 1年後期 診断学(中医独特の診断方法)

→ 2年前期 中薬学(各生薬を個々に勉強)

→ 2年後期 方剤学(中薬の組み合わせとその効能)

→ 3年前後期 内科学(基礎学と診断学で症状を分析して、それにあった中薬と方剤を用いて治療)

いざ病院実習へ(01年春)

 3年の後期は病院実習です。毎日自転車を30分走らせ病院へ。実際に患者さんに接することが、とにかく楽しかったです。特に、針灸科での実習が楽しかったですね。がんばればがんばるほど仕事が増え、先生によっては針も打たせてくれます。私の通っていた針灸科の先生は非常に人気があり、半日で50人くらい患者さんが来るんです。でも、患者さんに影響があるのでエアコンは禁止、蒸し風呂のような部屋でせっせとマッサージなど先生の手の届かない仕事を汗だくになってするんです。

大学の合併(01年秋)

3年の時に名前だけ合併していた大学が、4年になったとき完全に統合されました。この頃北京では大学の合併が極端に多かったんです。例えば、西洋医学を専門に学ぶ北京医科大学が北京大学に吸収されて、北京大学医学部になるなど、とにかく吸収合併が多かったんです。

北京針灸骨傷学院も例外ではなく、北京中医薬大学に完全に吸収されました。4年生の時母校がなくなったんです。で、中国最高学府 北京中医薬大学の生徒になりました。

4年生

 大学の4年では、選択科目が主になります。中国人は応用英語やコンピューターなど社会で必要となるものを選択する人が多いです。

 私は生薬の良し悪しを判断する『鑑定学』や実験のための『実験方法学』など、中医と中薬に密接な教科を選択しました。

インターン実習(02年秋)

 5年生は病院でのインターン実習です。中医では大変有名な病院で実習ができました。特に循環器系が強く、全国から患者さんがやってくるほどの病院です。

約1ヶ月ごとに科を移動します。外来、入院病棟どちらも実習します。入院病棟では中国人の実習生が多く、カルテの整理などの事務作業はなかなかさせてもらえません。なので、患者さんと直接コミュニケーションを取ることが多かったです。外来は実習生がそれほど多くはないのですが、処方箋やカルテの整理はやはり中国人実習生が主になります。外来でも入院病棟でも事務的な作業は身につきませんが、患者さんを診ることに集中できました。

大学院の入試(1次試験)

 大学院の入試は1月です。中国人が半年~1年は準備をする難関です。臨床、実験、古典研究など専攻は悩みました。最終的に選択したのが『傷寒論』、臨床を書き記した1800年前の古典です。日本で最も盛んに研究されている学問です。

 1次試験は1月に行われ、私の入試教科は『総合中医学』と『金匱要略』、1次合格者が4月の2次試験に進み、私の教科は『傷寒論』と面接です。

1次試験の前、なぜかとても忙しく、結局10日間の準備で試験に臨みました。結果、ボーダーラインを超え2次試験に。

SARS強襲(03年2月~)

 中国の後期は2月の下旬から3月に始まるのですが、この頃留学生には一つの情報が。SARSです。広州や香港で流行していたSARSが、北京で発症例があるという情報です。北京で正式に発表されたのは4月、そのときは既にかなり感染が広がっていました。

北京で大事になった一番の問題は、院内で感染をしたことです。病院に通う患者さんだけでなく、医師や看護婦も情報操作のために知らなかったのです。留学生には情報がありましたので、私は自己判断で3月の病院実習を控えました。4月の発表の後は、どこの病院でも大騒ぎ!病院は隔離、大学も閉鎖、留学生は強制退去、そして北京は映画に出てくるような廃墟の街へ。

結局SARSの影響で、後期の病院実習は全てキャンセルになりました。

SARSの傷痕(03年6月~)

SARSの影響は、病院実習だけではありませんでした。大学院の2次試験、卒業試験、卒業式の全てに大きな影響を与えました。大学が6月の下旬にようやく正常化しましたが、留学生は7月の下旬にようやく集合。本来なら大学が休みになる時期です。

結局、大学院の2次試験は中止。1次試験の結果で判断されました。

卒業試験も8月にようやく実施されましたが、「臨床試験」が病院で実践として実施できず、ペーパーテストに変更。不合格者もでましたが、追試で何とか全員合格。30人以上いた留学生が卒業時には10人ほど。無事卒業です。

ようやく入門(03年8月)

留学生だけで卒業式が行われました。卒業証書を頂いた時感じたことは「ようやく入門したかな」です。5年間の勉強、実習を通しての素直な感想です。

まだまだ誇れるほどの知識などありません。次は、国費(中国政府奨学金)留学生として、大学院で学びます。

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