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なぜ私が中国国家衛生部直属中国足部反射区健康法研究会(以下足健会)と出会い、日本部部長という要職につけたのか?その日本の展開をなぜ任されているのか?お話します。
98年 ~出会い~
最初は98年の夏です。本科に入学して1ヶ月くらいの頃です。中国足健会は2年に1度世界学会を開催しています。その日本語翻訳を論文翻訳したのがきっかけです。学会会場にもお邪魔させていただいて、足健会の方と食事をした程度の関係でした。
その後、足健会や会員店舗の簡単な翻訳を手伝う関係となり、00年の春に足健会No.2の方(秘書長)と直接お話をし、やり取りが発生しました。
00年 ~世界学会~
そして00年夏、世界学会のための論文翻訳の時です。一部を日本人の友人に手伝ってもらいながらも、結果的にはその時必要とされる40論文全部の翻訳を引き受けることになったのです。
その後本大会で、秘書長のたっての希望により、学会での同時通訳や日本人会員のアテンド、人民大会堂での通訳など、学会での全ての作業をこなしました。足健会No.1、つまり理事長に認識して頂いたのもこの時です。
岩崎学と言う中医学の大学生がいるぞ!という感じです。
そこで信頼を勝ち得た?とは言い切れずも、中医薬大学に、勉強にも仕事にもまじめな学生がいると認識されました。その後も良好な関係を維持してきました。
02年 ~日本部部長~
02年に足健会の日本関係の責任者になる大きなプロジェクトがありました。日本の最大航空会社の中国キャンペーンを中国で管理、運営するというものです。
私に連絡があったのは授業中、理事長からの直接の指示で迎えの車が学校に来て、ほとんど拉致の如く日本側との交渉の場に。いきなり学生が日本部部長の肩書きを与えられたのがこの時です。
キャンペーンは10月スタート、「足温浴マッサージ無料招待」です。10月の出足は悪かったものの、2月には月900人近くのお客様をお迎えすることに。後半はSARSが強襲したため日本からのお客様が全くいなくなってしまいましたが、1年間クレームもなく無事修了しました。
02年の学会は翻訳、通訳、アテンド、人民大会堂での演説など、ほとんど一人で行いました。日本会員の技術向上を検討し始めたのはこの頃です。連絡も密になり、週に1度は秘書長と検討を重ねるようになりました。
04年 ~日本に向けて~
04年の学会も無事に終了し、日本会員技術向上の検討は続けられています。
そして05年から、日本会員の皆様の技術の向上と情報の1本化のため、北京日本部が本格的に動くことになりました。
今、日本の取り巻く環境は厳しい点がいくつもあります。
1.足裏マッサージにおいては英国式、台湾式が主流で、我々の医学を目的とした本家本元が全く認知されていません。ですがこれらの各店舗はあまり儲かっていないのが現状です。反面学校は大繁盛といわれています。
2.中国マッサージ店の乱立。これはいかがわしいものも多くイメージダウンは否めません。
3.行政の壁。日本では医療行為でないので、保護されていません。
4.日本での高コスト体質。
5.日本会員の技術レベルが高くないことと、統一が全くできていなこと。
6.会員との関係が間接的で、中国足健会が会員を把握できていないこと。
以上のような問題から、日本会員の皆様の技術向上と店舗経営が壁にぶつかっているのは、本部として看過しできない問題です。
これらを解決するための足健会日本部とご理解ください。
06年中国の春節(旧正月)後、理事長、秘書長より正式に日本での展開を委任され、今後皆様への情報発信の窓口として頑張っていくこととなりました。
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